タイルメイドの想い

タイルメイドの想い

釉薬職人の色技術で、見る人の心を動かすものづくりを

タイルメイドは、タイルの色づくりを行う釉薬メーカー発のタイルブランドとして生まれました。

(写真)工場の様子。若いメンバーを中心にして日々効率化を意識しながら動いています。

私たちは、古くは奈良時代から、人々が美しさを見出した、釉薬という素材に着目し、タイルの研究開発を行なっています。釉薬の美しさは、いまでは、器のみならず、タイルの表面にも施され、インテリアや外壁など、私たちの日常に溶け込んでいます。

(写真)外壁タイルのテストピース。色だけでなく質感もタイルの表情を司る大事な要素です。

これまで多くの人が愛し守ってきた、焼き物の伝統を、建物や空間において、現代に必要とされるものとかけ合わせ、タイルという形で守っていきたい。昔も今も変わらず、釉薬が見る人を感動させることができる素材であると信じて、タイルを生み出しています。

私たちは、一枚一枚のタイルに思いを込めて、建築、設計に関わる専門家の方々や施主のみなさんへこれまでにない提案を行っていきたいと考えています。

タイルメイドが誕生したわけ 窯業(ようぎょう)の釉薬メーカーの娘として育った経験

私が生まれた、岐阜県の東濃地域は焼き物・タイルづくりの一大産地です。家業がタイル用の釉薬メーカーであり、物心ついた時から焼き物に囲まれ育ちました。

(写真)瑞浪駅前。駅を降りると、煙突を模した陶壁のモニュメントが出迎えます。

しかし、産地を離れると、美濃焼やタイル、釉薬の素晴らしさが世の中にはほとんど知られてないということに気づきます。

さらには、タイルや器を製造する窯業界の売り上げの低迷、業界の黒子に徹してきた原料メーカーは苦しい立場に置かれます。多くの会社が事業を継続しないという選択をするようになり、このままでは産地の技術が途絶えてしまうのではないかと危機感を覚えました。

そこで、家業とはまた異なるところで活路を見出したいと、釉薬の魅力・タイルの魅力を最大限に活かすオーダーメイドのタイル事業を立ち上げます。

(写真)代表玉川。手に持っているロゴ入りの青むらタイルがタイルメイドの商品の第一歩となった。

職人の父親から受け継ぐものづくりの精神

私は20歳のころ、大学を中退し、家業である玉川釉薬で6年間働きました。そこで、陶磁器やタイルといった焼き物の表面の質感や色を決める釉薬の魅力を知ります。多くの人に釉薬が生み出すタイルの魅力を伝えたいという思いが生まれるきっかけとなったのは、釉薬職人である父親の存在があります。

(写真)玉川釉薬創業者であり、釉薬職人の父。タイルの中の細かな石をルーペで覗き分析する。

半世紀以上釉薬を作り続けていても、今でもまだ釉薬はわからないことだらけ。だから面白いのだと、という父親の姿を見て、そんな釉薬を愛する職人魂を受け継ぎたいと思うようになります。

焼きあがるタイルは、釉薬の化学反応によって表情を変えるので、焼いてみないと、毎回どんな色になるかはわかりません。前と同じ原料を入れて釉薬をつくっても、少しの環境の変化で、その表情が変わってしまうのです。

そのため、色の研究と試験を行い続けます。工場には、何千というタイルのテストピースが並びます。

(写真)これまでに開発してきタイル。テストピースのタイルには、「光沢値」が数値で記入され、タイルの色ずれを日々確認している。

とても複雑なものを均一にコントロールするため、職人は日々、釉薬を研究し、タイルと向き合い、タイルをいちから再現し、タイルメーカーに納品します。

何十年と培われたタイルの色だしの技術。その高度な技術に感動し、せっかくの職人の色出しの技術が既存のタイルの再現だけで終わってしまってはもったいないと感じるようになります。

何万通りのタイルをつくれる釉薬職人の技術を知れば知るほど、もっともっとユニークなタイルがつくれるのではと考えるようになりました。 あるとき、職人の父親がが何気なく言った「釉薬職人はタイルのトレンドを作り出せる」という一言。その言葉がタイルづくりの世界へ突き動かしました。

世の中の誰か一人のためにでも色を開発して届けてみたい。そう考えるようになります。

東京での修行

20歳で家業に入り手伝っていた頃、家業や窯業に対して前向きに向き合えたわけではありませんでした。世界中を飛び回りたいという夢を諦めきれず、家業を手伝う傍ら、世界一周、NPO立ち上げ、ボランティア活動と様々な社外活動を行います。

名古屋駅でゴミ拾い活動を行っている時の様子。活動は広がり、300人以上が一斉にゴミ拾いを行うイベントも開催。
年間3万人がゴミを拾う「グリーンバード」の名古屋チームを立ち上げる。ゴミ拾い活動を開始する、キックオフの様子。

そこで出会った仲間に後押しされ、もっと広い世界をみてみたいと東京へ。そこで、修行として、ベンチャー企業、NPO、議員秘書、広告代理店など、複数の組織の元で働き、新規ビジネスや新しい物事を生み出すための仕組みづくりを学びます。

(写真)六本木・アークヒルズで開催したイベント。港区100人カイギなど、人と人とをゆるやかにつなぐコミュニティ活動の立ち上げや会の企画・ファシリテーションなどを行ってきた。

修行期間を経て、プロジェクトマネージメントの仕事ができるようになってきた頃、東京で学んだ手法を使い地場産業である窯業の世界で、新しいことを起こしていきたい!という新たな目標を見つけます。

同時に、家業で働いていた頃を思い出します。自分自身、これまでの下請けの仕事のみではクリエイティブな仕事がしにくいということを理解しつつも、業界を変えられないと思って諦めていたことに気づきます。家業を離れて、東京という地にでてきたとことで、その部分と逃げずに向き合わねばという気持ちが芽生えました。

再び、仲間たちに後押しされ「岐阜に戻り、業界しっかり向き合いたい。」と決心し、東京を離れ、2016年、岐阜に戻ります。その時に、「オーダーメイドタイルブランド・TILEmade(タイルメイド)」を立ち上げ、新たなスタートを切りました。

そのタイミングで、クラウドファンディングにも挑戦し、100万を超える資金調達に成功します。

(写真)100万を目標にしたクラウドファンディング。タイル・釉薬という一般に馴染みのないテーマでしたが、138名の方にご支援いただき、無事に目標額を達成しました。

流通を変える 工場から直接お届けすることで made for you のタイルを。

私たちは、これまでの流通のあり方とは異なり、工場から直接お客様にタイルをお届けしています。

(図)従来の工程ではできなかったことをタイルメイドの新たなビジネスモデルで叶えていく。新しい工程ではあるものの、産地を支えている量産メーカーとの連携が鍵となります。

一般的なタイルの流通は、大量生産型のモデルです。良いものを早く安く届ける仕組みができあがり、みなさんのもとへ日々タイルを出荷しています。反面、どうしても画一的になりがちで、ひとりひとりのお客様のもっとこうしてほしいという要望には応えにくいものになっています。

タイルメイドがプロデュースする「色むらのあるタイル」は、一枚一枚の色に差異が発生するため、大量生産においては敬遠されがちでした。一方で、お客様から、色むらのあるタイルを作ってほしいという声を多くいただき、その思いに背中を押され生み出されました。

ひとりひとりのお客様のこだわりの注文に応えるため、時には手仕事で少量の生産を行なっています。私たちは、職人でしか生み出せないものを、適正な価格でお届けしたいと考えています。

タイルの使い手、タイルの作り手、そのふたつの世界を結び、日々、他では手に入れることのできない個性的なタイルづくりに挑戦しています。

タイル業界の現状

タイル業界の現状は、平成3年をピークに、売上高が1/5という大変厳しい状況です。日本国内の需要の減少、タイルに変わる代替品の台頭など様々な理由があげられます。そして、大量に早く安くの大量生産に適した分業の産業構造が、時代の変化に合わせにくくなっているという現状があります。

しかし、業界も暗いニュースばかりではありません。

海外への販路拡大、アクセサリーや雑貨など新市場開拓、循環型のエコ商品の開発、と、業界の中でも様々な挑戦が始まっています。タイルメイドも窯業界を元気にするひとつの元気な細胞でありたいと思い日々活動しています。

TILEmadeが実現したい未来

この窯業界をチャンスと捉え、地場産業で挑戦する人を増やしたい。20歳で業界に飛び込み、家業や地場産業をポジティブに捉えることができず、夢や希望を抱くことができませんでした。しかし、今は、業界内を知り、業界外の世界とも繋がり、ここから新しい道を切り開き次の世代へ繋ぐことが役目だと感じています。

原料の枯渇、職人不足、後継不足、業界の未来に待ち構えている問題は多くあります。しかし、ひとつひとつの問題と向き合い、解決しようと立ち向かっていく人材がいれば、新しい道が見つかると感じます。

私たちは、タイルメイドというブランドを立ち上げ、そこから新しい未来を切り開いていきたいと考えています。私たちの商品が、手に取ってくださった方を笑顔にするものであり続けることを目標に、私たちは岐阜の地でものづくりを行なっていきます。